著作権っていつ発生するの? 〜内田樹〜

内田樹(うちだたつる)『街場のメディア論』光文社

街場のメディア論 (光文社新書)

街場のメディア論 (光文社新書)

図書館で借りたけど、もう一度読みたい。
とてもおもしろく読めた分、どこか全て鵜呑みにしていそうな自分が怖いから。
講義形式の文体だから読みやすいことも理由の一つ。
とりあえず、著作権レヴィ=ストロースを関連付けた話がおもしろかったのでメモ。

「何かを受け取ったものは反対給付の義務から逃れられない」
「贈与を受けたら返礼しなければならない」
というレヴィ=ストロースのことばから、

著作権は脱稿した瞬間からあるのではなく
読者がありがとう(贈与を受け取った)と認識した時に、
初めて価値が生まれる。
それが「著作権」である。

確かに「読んでもらう相手」がいないと、著作権がどうのこうのではない。
今や図書館に配架されることを嫌う著者がいるらしいけれど、
おそらくそんな人たちには、利益追求ばかりで、
将来的に、長期的に「育てる」っていう気持ちがないんだと思う。
なんだかさもしい発想。

「『本を自分で買って読む人』は
その長い読書キャリアを必ずや
『本を購入しない読者』として開始した」

だから図書館のような無料で読める公共機関、お試しの場所が必要なのね。
音楽でも無料視聴とかあるよね。

音楽でも本でもDVDでも、最初はまず無料視聴、貸出から始めて、
「やっぱりこれ欲しいな、何度も見返したいな」っていう「所有欲」がはたらいて
購入に至ったケースがわたしも何度もあるもの。

全てを経済活動でみてはいけない。
長い目で、「育てていく」もの。
教育までが経済活動に飲み込まれたら、こわい。
それくらい20年ほどしか生きてないわたしでも分かるさ。
教育とかの政策って、短期で変えてちゃだめだと思う。
変化させるにしても、少しずつ少しずつ,,,
じゃないと混乱してしまう。教わる側も教える側も。

著作権だけでなく他の項目もおもしろくて、さくさく読めた。
たとえば、電子書籍は買ってタイムラグなしにすぐ読めるけれど、、
書棚に並んだ書籍は「いずれ読まねばならぬ本」であり、
そういう無言の圧力こそ紙ベースの良さの一つであるとか。
これ、よく分かるなー。
わたしも、大学の授業でもらった資料をUSBに保存して
あとからチェックしようと思うけど、
結局、印刷して物体として目の前に置かないと、まず読まない。
読めない。面倒くさい。(笑)
無言の物体の圧力って、あると思います。
(おらおらー、お前が買った(借りたんやろー!はよ読めやー!って感じ。)

内田樹シリーズは読みやすいからこそ、なんだか彼のペースや思考に飲み込まれて、
自分が彼の論に対して疑問をもたなくなっていそうで怖い。
もう少ししたら購入するかもしれない。