お風呂屋デビューでズタボロになった

うちの目の前にある銭湯にさっき初めて行ってきたら、ズタボロになってきた話。

場所は都内の下町。
常連客しかいないんじゃないかと思わせる昔ながらの銭湯。値段も書いてない。外からは中の雰囲気が全く分からず閉鎖的。

おそるおそる入ってみると、
ふてぶてしいお顔の番台のおじいさんがいらっしゃる。

「初めてなんですが、おいくらですか」
「そこに書いてあるだろ、あんた時が読めんのかい。ちっ」
舌打ちされる。

「あんた、まだ東京きてまだ間もないね。田舎者だ」
馬鹿にされる、

「いまにみてな、東京に大きな地震がくるから」
突然脅される。

中に入ると、
乳たれたおばあちゃんが5人ほど、
そこらを子どもが2人はしゃぎまわり、そのそばで肝っ玉母ちゃんがドスの効いた声で叱り飛ばす。


まずメイクを落とそうとしたが、シャワーの水の温度調整の仕方が分からない。熱すぎて浴びれない。肌が死ぬ。家に帰ってからメイク落とすことに。

お風呂は何種類かあり、
最初に入ったのが熱すぎてぎゃーとなる。
2つ目のに入ると、熱いが入れんことはない温度。あちーー!と顔をゆがめながら我慢してると、だんだん気持ちよくなる。「こりゃいいなー」と思ってたら、風呂屋の主と思われる白髪の乳たればーさんの怒鳴り声が風呂中に響き渡る。

「あんた熱い湯が好きな人はどうするんだ!お前だけの風呂じゃないんだよ!」
「!?!?!?」

ふと横を見ると蛇口から水らしきものがドボドボ出てる。
いやいや、わたしが入った時から水出てたし、そもそも水で調整できることなんて今知ったし!!

とりあえず「ごめんなさいごめんなさい」といっといた。

ちょっと熱いお湯に長くつかりすぎたなーと思ってたら案の定くらくら。
お風呂の端に座ったらすかさず風呂の主、観察してたのかさささーっときて、「あんた慣れてないくせに長湯しすぎなんだよばか!倒れてもらったらまわりが迷惑するんだよ!ほら!水で顔を洗いな!」

…、こ、こわい。
とにかく「どうもどうも」と言いつつ、こりゃ確かに言うことをきいたほうがいいなと判断。

でもわたし、水の出し方が分からない。温度調整できない。

赤と青の蛇口をこねくりまわしてたら隣にいた股全開のおばちゃんが
「ここをこうやって押すんだよ!!そんなんすると壊れるだろ!」と注意を受ける。
なるほど、すみません。
あ、でた。



熱い、もうでようと思ってたけど、
今までのお風呂の退出者を見る限り、何やら出る時にはどうやら「おやすみなさーい」とみんなにあいさつをしなければいけないみたい。
風呂場のみんなは一斉に「おやすみなさーい」と返す、そうう暗黙のルール。

こわい。恥ずかしい!でももう熱いのぼせる!

意を決して、扉を開ける。
おそるおそる小さな声であいさつ。
が、声小さすぎた。
まあ、いちおう言ったしいいやと思う。

しかしすぐにシャンプー類を忘れたことに気付いて風呂場に戻ったら、ばーさん連中が「若いもんは挨拶もしないわー」って悪口真っ最中。ありゃまー

極めつけは、
番台のおじいさんの前を通るときに、持参したタオルを首に巻いて出たら、「それ返しな」といわれる。
このタオルは自分のものだと伝えると、「分かりにくいことするんじゃないよ、この野郎」と怒られる。
ぎぎぎーーー!!


銭湯はあったかくてお湯が熱くて気持ちがいい。人がたくさんいて、さみしい時なんかにはもってこいだと思った。病みつきになりそう。

だけどもう1回今日の銭湯には行かないぞーー!

結婚は手放しでバンザイしたい

「結婚はゴールじゃないよ」
「結婚したらめでたいわけじゃない」

とかなんとかいう意見をよくきくけど、
これ結構さびしい話だなと思う。
そりゃそうだけど。


「カレと結婚したらもう怖いことなんかない!」という恋愛的盲目感や「結婚したらもっと人生楽しいだろうにな」という甘い希望的観測感や、「これからくる不幸なことも甘んじて受け入れるわ!」という人生達観感などなどをすべて肯定するわけじゃない。

そんなめでたい頭は、結局は破局に向かうだけで結婚後は「こんなはずじゃなかった」と泣きわめくだけだ。

でも「結婚」って、「出産」と同レベルで、数あるイベントの中で珍しく手放しで喜んでいいものじゃないかなー(例外的なケースを除いて)。
ほら、転職の話なんかはめでたい話とそうでないのがあるし。

結婚したと報告を受けたら、「よかったね」「おめでとう」っていいたいものじゃない。喜んであげたいものじゃない。

結婚に対して理由や根拠のない「希望」とか「あったかいもの」を見出すのが、周りの反応であっていいんじゃないかな。


まあ、だけど誰かが結婚したと聞いたら「いいなー!まじ羨ましい!あー、わたしも早くしたいわー!」って言っちゃう人に若干抵抗はあるのだけど…。

浮気の仕方

浮気心が芽生えます。

でも、とても大切な大切な恋人を、
悲しませることだけはしたくないから、

やっぱりばれないようにしなきゃ。
矛盾してるけど、でも人間は矛盾する生き物でしょ?
そうでしょ?

でも、今はまだできんのやなあ。

顔に出るやつは浮気したらあかんと思うのよ。
嘘を付きとおせないなら、
ばれるくらい嘘が下手なら、
浮気はするもんちゃうなあと。
自分が良心の呵責に耐えられない、
そんなんだったら浮気をする資格はないなあと。

その代わり罪の意識だけは自分自身で抱えろよー。
決して恋人に泣いて詫びたりするんでねえぞ。
そう思います。


一線を越えるときは、それなりの覚悟をしよう。
ことばでは簡単だけれど。
今のわたしには無理です。
嘘が下手すぎるわー。

嘘がうまくなることは、
周りに迷惑かけることが減るということでもあるし、
自分を苦しめることでもあるのかのう。

もっと巧妙に、ずる賢く狡猾に。
それができるようになるまでは、
浮気はしないと決めました。
浮気心は妄想でとどめる
(あれ、なんだか一生浮気できない気がしてきた)


自分を嫌いにならない程度に。
自分が許せなくなるほど、
生きてくのが辛くなることはないと思うのねー。

けんこう…

とある会社へインターンシップに行った。
そこで特定保健指導としてお客さんに電話をかけているときの話。
私が、
「最近は体重やお腹周りの調子はどうですか?」
ってきいてまわっていたら、
「家が火の車でね、それどころじゃない」、
「買い物行きたいけど行く手段がなくて...」
「腰が痛いから運動なんかできない」
「介護で毎日大変なんだから」
とか言われた。


「ああ、運動指導したくてもそれどころじゃない人がたくさんいるんだな」
って思った。

健康になってほしいと思うけど、
それは太っていてもまあよくて、
毎日楽しく明るく過ごせればそれでいいとわたしは思ってしまう。

運動の効果なんてたかが知れてる。
もちろん運動を通して誰かと仲良くなったとか、
運動してたら前向きな気分になってきたとか、
そういう副次的なものはいいんだけど。

なんだかそういう栄養・運動面からのアプローチでは、
人を健康にするのは難しいなって、実感したのだ。

食や運動の専門家になって、
ある程度の水準の生活を送っている人に、
つまり栄養管理や運動できる環境・体調にある人に対してアドバイスする、
そういう職を選ぶことに納得がいかなくて。

だから、もっと環境からのアプローチがしたいなって、強く思った。
交通整備なり、医療支援なり、介護支援なりの体制を整えるとか、
介護予防とかだけでなく、つい遊びたくなる公園とか、
ごみのないきれいな景観でもいい。
そういう身近だけど日常での床下の力の存在でありたいなって思った。

高水準の人に、
つまり現在プラスである人に、
さらにプラスへとはたらきかけるより、
マイナスもしくはゼロ、0,001とかの人に対して、
より過ごしやすくて生きやすい、
快適な生活が遅れるように、
そういう「生活」に密着したことを仕事にしたくなった。
縁の下の力持ち。

たぶんそんなに影響力はないだろう。
私が入庁したからといって、
直接的に体制をつくる役割や部署に配属されることはまずない。
ましてやその市が劇的に良い方へ変わることがあるわけない。

ただ、自分がそういう仕事に就いている状態が、
そういうものを目指している自分ってものが、好きなだけ。

ただそれだけ。

もしかすると、専門的にアドバイスする職に就いていた方が、
人から感謝される頻度が多かったりキャリアアップしたり、
お給料も良かったかもしれないけど。

仕方ない。
それがわたしの性分なんだもの。
ある程度まで水準がいかない層を基準に仕事をしたい。
高い層を相手にすることの方が簡単だものね。

こんな甘いこといってていいのかしら。
あとから後悔するのかしら。

でもいいのです。
これでいいのです。
こうやって、わたしは生きていくのです。

マンガ

わたしは、なんでIDを「aizi」にしたんだろうって思い出してた。
なんせ6年前ほど前から使ってるから、自分でも忘れてしまった。
山川あいじ」っていう漫画家さんの影響であることは間違いないんだけど、
そんなに好きだったわけでもない。
はてはて…と思いたどっていくと、いろいろ漫画について思い出したからメモ。

漫画家志望だった姉の影響を受けて、
わたしはマンガが幼いころから好きだったし、大量に読んでた。

毎月、月刊少女漫画を欠かさず買って読んでたな。
小学1〜2年は「なかよし」、それから「りぼん」、
中学年からは、漫画家志望の姉の影響で「別冊マーガレット」や「別冊フレンド」、
高学年からは、「cookie」や「花とゆめ」…
同時期に少年漫画も読むようになったはず。

とにかく毎月、自分の友だちや姉の友だち同士で貸しあったりしてたから、
かなり大量のマンガを読めました。
しかも小学生から「Cookie」読むとか、少し鼻高々というか、
「わたし大人びてるわ〜」なんて思ってた。
(エロいシーンをニヤニヤ読んだりしてたけど、よく分からない単語もあった。)

それで、姉が漫画グランプリとかに応募だし始めて、
わたしもなんとなく手伝いはじめたんだなー。
スタイルは典型的な「少女漫画」。
いつも読んでる漫画が、自分の姉から作られていくプロセスを見るのは、
すごいすごい興奮した。

何作目かには賞に入り始めて、
最初は5千円だったんだけど、賞金額が上がり始めて、
最終的には30万とかもらえるくらい認めてもらえるようになった。
でもまた評価が落ち始めて…。

山川あいじ」さんは、よく姉と一緒に受賞者欄にあがってた方。
姉と二人で「またあいじさんがでとるな。しかもいつも私よりランクが上やな」
って話をよくしてた。

そしてついに、彼女はデビュー。

姉はかなり悔しかったのか、徐々に絵柄が彼女の作品に似ていった。
それで、「既存漫画家に酷似しています」との批評までいただくほど。

結局、姉は漫画家を諦めて、
漫画の道具をすべて捨ててしまって今は全く描いてない。

なんだかわたしからすると、
山川あいじさんは姉にとってライバルで邪魔な存在だった。
でも早くにデビューしたし、ずっと応募していた人がデビューしたから
近しい気もしていて。
しかも姉と絵柄が似てるから、なんだか彼女のマンガを読んでると、
漫画を描く姉の姿を思い出してしまう。
今もそんなにあいじさんの漫画をおもしろいとは思えないけど、
姉を蹴落としていった人だとわたしは思ってるから、
個人的に頑張ってほしくて読んでしまう。


お姉ちゃんの漫画、
今なら電子化して、誰かに読んでもらえないかな。
最後の方は、全然恋愛漫画とかでなく、
ファンタジー風だったり、友情物やら登場人物に障害者を入れるやらいろいろ試してて、
それはそれで、すごくおもしろかったんだけどな。
今もあの原稿は残ってるんだろうか。
もし残ってるのであれば、ぜひアップロードしたい。
なんだか、もったいない気がする。
そういう風に、埋もれていく作品すべてが、なんだかもったいない。
むむ、要検討。

家庭とは、(memo)

“家の中”を認知科学する―変わる家族・モノ・学び・技術

“家の中”を認知科学する―変わる家族・モノ・学び・技術

この著書の大きな特徴は、「家」を研究するといっても、
いわゆる"house"という「もの」や「家族」という集団を対象としてるのだけでなく、
それらプラスそこのただよう空気や雰囲気も含めた"home"「家庭」を対象にして分析されてること。

それにいろんな学者がそれぞれの学問分野の切り口からみてるからおもしろい。
インターネット、とか。
わたしこういうオムニバス系好きみたい。
ちょっと横道にそれるけど、『なぜ人は涙を流すのか』もそんな構成だった。

人はなぜ泣き、なぜ泣きやむのか?―涙の百科全書

人はなぜ泣き、なぜ泣きやむのか?―涙の百科全書

ちょっと面倒だからメモと感想程度に。

家族というものは基本的に解体していくものである。
しかし今は家族の機能が外化している。

そりゃ70年代頃以前とかと比べると、家族は解体しやすいのかもしれない。
従来なら教育や医療、育児・介護、情緒の安定の機能、を家族に求めていた。
今では「家族」を作り出さなくても欲求・必要は満たされてしまう。
では家族に何を求めるんだろう。
やっぱり暖かさ・気持ちを落ち着かせる場として重要だとわたしは思うし、著者もそういう。
でも、

身体的にも精神的にも活力が得られる暖かさが家族にはあり、
それは変わらないだろう。
では今は誰が暖めるのか。

誰が暖めるんでしょう。
…。

結婚あるいは相手に対する満足度の経年的変化は、
妻と夫では違ったパターンを示す。
夫はだいたい満足しつづけているのに対して、妻は満足度が低下していく。
特に中高年の妻の不満が。
それは妻が職業を持っている人の方が大きい。

なんだか妻って強欲なんかなーなんて思ってたら、

夫は妻に対して「威圧」、「無視回避」が多く、対話が不在になりがち。
対等でない。
もっとも対等かつ親和的な共感的態度について、
学歴や社会的地位地域など、調査すると唯一有意差な要因として見出されたのは
「妻の収入」。
専業主婦の夫の共感得点は最も低く、
妻が収入がありそれが高いほど夫との相互共感得点は高くなる

なるほど、対等な関係じゃないから不満が募って、
結果としてだんだん満足度が低くなるのか。
それも「稼ぎ手の夫と主婦の妻」っていう構造が陥りやすい。
つまり妻が夫より稼ぎだしたら、女性の満足度は高まるのか?
(妻年収UP→夫Wow!→妻と夫の関係性が対等→話も通じる→夫婦ともに満足)
だいたい主婦になると、夫と話が合わないのって本当なのかな。
わたしの家は両親共働きだから、そのへんよく分からない。

はい、次。

育児をする父親は「子どもは分身」感が低く、
育児をしない父親ほど「子どもは分身」だと思っている。
育児体験により子どもは自分と対立する他者として感じる。
子育てしない父親は子どもと自分に対立する拮抗の体験がないため、
ロマンチックなことを言ってのける。

へー、そうなの?
よく女性は「子どもはわたしの分身よ〜」なんていう人はよく聞くけれど、
男性もそうなりがちで、しかも育児をしない父親の方がそう思うだなんて。
夢見がちですよ。イクメンが普及するまでにはまだ遠いかな。

日本人母親におけるしつけの特徴として、「〜してくれないとお母さん悲しいな」など
感情に訴えて暗示的に導くことだった。
でも女性の高学歴化により、「〜しなさい」など、明示的に命令する母親増えた。米国化。
子どもとの分身感は減退し、自分とは別の存在だという意識が強くなってく。
生きがいは、子どもや子育てとは違う認識に変化。

あら、わたしは昔ながらの暗示的な導きの方がすんなり入るな。
女性の高学歴化によって命令する母親が増えるなんて、なんだかがっかり。

子どもの価値の変化、相対的なもの。
子どもは「授かる」ものより人が選択して「つくる」もの。
社会的価値義務から個人的な価値へ移行

そういえばわたしは以前こんなことをtweetしてた。

「こどもは宝だ、光だ、希望だ」とよくいうけれど、
昔はきれいごとにきこえてしまってたの。
でも首都圏に来て、
過疎化した地元では到底見られないほどたくさんのこどもを見て、
わたしは何度も何度も命拾いをしたと思うのです。
おおげさではなく。
それほど、こどもには何か得も言われぬパワーがある。
「子どもは将来高齢者を支えるために重要な存在」ってのももちろん分かるけど、
もっと身近でもっとリアルに、もっと単純でもっと刹那的な気持ちで、
こどもは宝です。光です。希望です。今のわたしは、そう思います。

わたしはこの気持ちを忘れないと思うな。
子どもの価値は社会情勢や個人のライフステージによっても変化するだろうけど、
やっぱり子どもの存在は悪い方への位置づけにはならないだろな。

稚拙ですが、めもめも。

著作権っていつ発生するの? 〜内田樹〜

内田樹(うちだたつる)『街場のメディア論』光文社

街場のメディア論 (光文社新書)

街場のメディア論 (光文社新書)

図書館で借りたけど、もう一度読みたい。
とてもおもしろく読めた分、どこか全て鵜呑みにしていそうな自分が怖いから。
講義形式の文体だから読みやすいことも理由の一つ。
とりあえず、著作権レヴィ=ストロースを関連付けた話がおもしろかったのでメモ。

「何かを受け取ったものは反対給付の義務から逃れられない」
「贈与を受けたら返礼しなければならない」
というレヴィ=ストロースのことばから、

著作権は脱稿した瞬間からあるのではなく
読者がありがとう(贈与を受け取った)と認識した時に、
初めて価値が生まれる。
それが「著作権」である。

確かに「読んでもらう相手」がいないと、著作権がどうのこうのではない。
今や図書館に配架されることを嫌う著者がいるらしいけれど、
おそらくそんな人たちには、利益追求ばかりで、
将来的に、長期的に「育てる」っていう気持ちがないんだと思う。
なんだかさもしい発想。

「『本を自分で買って読む人』は
その長い読書キャリアを必ずや
『本を購入しない読者』として開始した」

だから図書館のような無料で読める公共機関、お試しの場所が必要なのね。
音楽でも無料視聴とかあるよね。

音楽でも本でもDVDでも、最初はまず無料視聴、貸出から始めて、
「やっぱりこれ欲しいな、何度も見返したいな」っていう「所有欲」がはたらいて
購入に至ったケースがわたしも何度もあるもの。

全てを経済活動でみてはいけない。
長い目で、「育てていく」もの。
教育までが経済活動に飲み込まれたら、こわい。
それくらい20年ほどしか生きてないわたしでも分かるさ。
教育とかの政策って、短期で変えてちゃだめだと思う。
変化させるにしても、少しずつ少しずつ,,,
じゃないと混乱してしまう。教わる側も教える側も。

著作権だけでなく他の項目もおもしろくて、さくさく読めた。
たとえば、電子書籍は買ってタイムラグなしにすぐ読めるけれど、、
書棚に並んだ書籍は「いずれ読まねばならぬ本」であり、
そういう無言の圧力こそ紙ベースの良さの一つであるとか。
これ、よく分かるなー。
わたしも、大学の授業でもらった資料をUSBに保存して
あとからチェックしようと思うけど、
結局、印刷して物体として目の前に置かないと、まず読まない。
読めない。面倒くさい。(笑)
無言の物体の圧力って、あると思います。
(おらおらー、お前が買った(借りたんやろー!はよ読めやー!って感じ。)

内田樹シリーズは読みやすいからこそ、なんだか彼のペースや思考に飲み込まれて、
自分が彼の論に対して疑問をもたなくなっていそうで怖い。
もう少ししたら購入するかもしれない。